Roadster 10th Anniversary Meeting
(見聞禄)













開催日: 1999年10月10日(日・祝)

時 間: 10:00〜16:00

場 所: マツダ株式会社三次試験場

主 催: ロードスター10周年ミーティング実行委員会

特別協賛:マツダ株式会社

協 力:全世界ロードスター関連クラブ有志

参加費: 2,500円/名

イベント内容:・国内、海外ゲストスピーチ
                ・ランチョンパーティ
                ・10周年記念車への署名
                ・ロードスター10年間のプロトタイプ各車、全限定車展示
                ・ロードスターforever宣言採択
                ・全参加ロードスターによる高速周回路のパレードとその空撮

ロードスターが発売されて10年に成る。
私のVスペは平成2年式だが2000年で丁度10年に成る、多分、Vスペに関してはこの年のオーナーが1番 多いと思う。国内で15万台、全世界では50万台販売されるとは10年前誰も想像しなかったのではないか。
今回10周年ミーティングに参加して会場に来ている人を見ると20代から50歳を超えた高齢者まで10周年 を楽しんでいた。
此れは自動車と言うカテゴリーにおいてロードスターは唯一日本から出た文化ではないかと思う。
私が中学生だった頃、ライトウェイトのオープンカーはホンダS800で有ったりトヨタのS800で有った。
社会人に成って憧れのライトウェイトのオープンカーを手に入れようと思った時は、どのメーカーも生産してい なかった。(日本では経済性や実用性を優先し遊びの車は商売に成らなかった)
何かの雑誌で読んだ事が有るが当初この車の開発スタッフは自分たちが乗る車(乗りたい車)を作ろうと思って 開発した。ゆえに何時つぶされても良い企画で有ったと。せめて発売までこぎつければ自分たちの乗る車が出来たと言うことで満足しようと思っていた。
私もロードスターを買う時に此れに近い物が有った。「もう余り売れなくて良い!自分たちの特別な車で有れば 良い!」と…。この気持ちはライトウェイトのオープンカーが余りにも長い間日本で作られなかった結果で有ったと思う。しかし、今回の10周年ミーティング に参加してその気持ちは吹っ飛んだ。1台の車を通して此れだけの人が集まりまさに「遊んでいる」大勢で楽しむ素晴らしさは今まで日本になかった事だと思 う。

ロードスター10周年ミーティング レポート

10月9日前夜祭に参加した、かねてよりメールでしか話したことが無い金沢ロードスタークラブの中谷 内さんと会うことが出来た。此れも私にとって大きな喜びで有った。
朝7:30三次試験場入場、高速周回路に続々と全国から集まったロードスターを3列縦隊で駐車して行く。

 
会場では1800 人のロードスターフリークがメイン会場内テントにて、オープンブレックファースト(フリーフード、フリードリンク)をすでに楽しんでいた。

オープニングセレモニーや 開会宣言、ゲストあいさつと続くが取り分け大きなセレモニーやプログラムも少ない。此れで良いのである、彼ら達は自由にマツダスタッフに質問したり同じ車を持つ者同士の交友を暖めていたのである。
この雰囲気は私も久々に懐かしく味わった。学生の頃の学園祭の乗りなのである。
舞台の片袖に署名専用の10周年記念車が 置いてあった。この記念日にロードースターの生まれ故郷に居た事の証として皆が署名していた。

この車のボンネットで ある。いろいろな形のステッカーが張ってある、このステッカーを見ているとこの車の凄さが分かる。
1台の車から人が集まり日本のみならず全世界にクラブが出来、楽しみ方はそれぞれでもオープンエアの風と共 に走る心地よさを知った人達の共通のマインドが伝わってくる。

フィナーレは全参加ロードスター1000台による高速周回路のパレードで有った。
時間をかけてゆっくりゆっくりパレードしていた。皆が手を振り全員が友達の気分に浸って居たのは私だけであ ろうか?
 
 
 
 
 

最後のプログラムでロードスターforever宣言採択と言うのが有った。司会者から「10年後もこ の会場で会いましょう」と言うアナウンスと共に観客全員が「オー!」と叫んだ。
私の家内が横で「あと10年マツダが持てばね」とつぶやいた。いささか興奮気味の私も瞬時に現実に戻された ような気がした。
日本の自動車産業も大きな経済のうねりの中で勝ち組み負け組みに分かれつつ有る。巨人と言われた日産がひん 死の重傷に苦しみマツダもフォードの翼下の中でかろうじて生き残っている。
われわれユーザーとしては遊び心を忘れないメーカーとしてエールを送り続けたい。
 

2000年1月4日
OBHR 尾崎徹也
翌日の新聞

戻る